SKVメンバーの東日本大震災での経験談・思い
今回の情報発信企画においてSKVのメンバーから東日本大震災での経験談や今思うことを募集しました。メンバーが経験したありのままをお伝えします。当時の被災の経験が鮮明に書かれていることを先に注意書きとさせていただきます。是非ご自身の3.11を思い出しながら、メンバーの経験談、そして思いを見て頂けたら嬉しいです。
<2年 男子>
・経験談
私は、当時小学5年生で、東日本大震災では震度5強の地震を経験した。
揺れが始まって、たしか10~20秒くらいで、いつもの地震とは明らかに違うと5年生ながら認識できた。その時、私は体育館にいたのだが、揺れが強くなるにつれて、体育館の鉄骨が「ガンガンガンガン!!」とぶつかり合う音がどんどん大きくなり、その音は震災から10年が経つ今になっても鮮明に覚えている。
その後に、校庭へ避難したが、一向に強い揺れが収まる気配はなく、さらに聞いたことのない地響きも聞こえ、とても怖かったことを覚えている。
当時辛かったことや困ったことは、電気・水道・ガスが使えなくなったことだ。かなり生活に支障をきたした。電気が使えないので、夜はなんとなく心細く、入浴もできなかった。トイレも不便で、食事の用意も火を使う時は限りのあるガスボンベを使用して母が準備してくれていた。当時は、小学5年で大人に任せていれば何とか生活できていたが、自分が成人した今、当時の状況を思い出すと、相当厳しい状況であったと感じるのと同時に、私自身も大人として有事の際にできることを考えていかなければならないと強く感じる。
・今思うこと
東日本大震災を経験して、今思うことや伝えたいことは、「思い出すこと=忘れない努力をすること」がとても大切だということだ。
東日本大震災を経験した私だが、10年の時が経った今、どこか楽観的に考えてしまう節があり、頭のどこかで「でも、なんとかなるでしょ。」という根拠のない自信のようなものを感じる。恐らく、時が経ったことにより、記憶が徐々に薄れており、当時感じた恐怖心や不安感を実感として思い出せなくなってきているためだ。
さらに、災害の多い日本では、地震のみに注意していればいいということではありません。暴風・豪雨・土砂崩れ・洪水・豪雪など自分の経験だけでは対処しきれない多くの災害が日本にはある。
従って、自分が当時者の意識を持つことによる「知ろうとする努力」も同時に大切にしていかなければならないと感じた。
と言っても、いきなり防災意識を完璧にできる人など極わずかだと思う。自分にできる範囲で小さなことから意識を変えていくことが、もしもの時に自分の命・大切な人の命を救うことになることを忘れずに、生活していこうと思った。
<2年 男子>
・経験談
東日本大震災当時、小学生で授業中に地震が発生して「学校目標」の額縁が落ちてきたことで友達が怪我をしてとても印象に残っている。また、妹が産まれる約1ヶ月前で母親の体調もあまり優れず、余震が起きるたびに不安で仕方なかった。
<4年 女子>
・経験談
当時は関東在住の小6で、教室で授業を受けていた。
揺れが起きてすぐ机の下に潜ったが、今にも割れそうな窓や、落ちてきそうな天井や蛍光灯など、机の下で凄まじい恐怖を感じたことを覚えている。
発災後しばらくは停電が続き、食事やお風呂、トイレなどに困った。一刻でも早く元の生活に戻りたいと願っていた。
4月に中学生になり、体育館や武道場が被害を受けたことで、部活動をする場所の確保が困難になった。しかし、数ヶ月後、地域住民の方が道場を貸してくれたため、稽古に励むことができるようになった。震災によって様々な困難もあったが、人との繋がりの重要性や、思いやりを強く実感した時期でもあった。
・今思うこと
大学でSKVに入り、合宿で初めて東北に行った。 東日本大震災から数年が経過したにも関わらず、その爪痕が大きく残っていた。それは当時関東に住んでいた私にとって、想像を絶するほどのものであり、大変胸が苦しくなった。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉があるように、東日本大震災から10年が経過した今、当時の苦しみを忘れている人も多いだろう。
自然災害を発生を完全に阻止することはできないが、非常袋の準備や家族との話し合いなど、それぞれが備えられることはある。災害大国の日本だからこそ、自分自身や大切な人を守るために、一人ひとりが日頃から備えていくことが大切だと思う。
<2年 女子>
・経験談
震災当時、私は小学4年生で2分の1成人式の準備をしていた。担任の先生は職員室にいたので教室には子どもしかおらず、とても不安だった。今までにない大きな揺れだったため、生徒の中には驚いて泣き出してしまう子がいた。
また、当時、スーパーで食料品を買うにも「おひとり様いくつまで/一世帯いくつまで」と、個数制限を行っていた。その中でも、栄養価の高い納豆は人気で開店と同時にお店へ行かないと買えないような状況だった。
・今思うこと
私は幼稚園や小学校で地震が起きたら、真っ先に机の下へもぐることを教わってきた。しかし、先日図書館で防災関連の本を読んだところ、机の下にもぐることは古い考え方で、まずは出口を確保することが新しい考え方であっあ。自分の命や大切な人の命を守るためには、防災グッズの備えだけでは不十分で、常に新しい情報を知る必要があることに気づかされた。いつ地震が起きても対応できるように、防災グッズを揃えておくことはもちろん、自分の住んでいる地域の避難先や新しい防災情報の確認など、日頃から防災意識を高めておくことが大切だと思う。
<3年 男子>
・経験談
東日本大震災から10年、誤解を恐れずに言うならば、僕自身の中ではあっという間だった。それは、いつの間にか10年が過ぎ去ってしまっていたということである。しかし、この10年の節目が持つ意味はとても大きいと感じる。10年の節目でひとまず区切りをつけるのではない、新たな局面を迎えるきっかけになるべきである。まったく終わりではない、むしろここから真の復興が始まらなければならないと感じる。
2011年3月11日のあの時、僕は小学5年生で帰りの会の最中だった。揺れが収まるまで机の下に潜った後、防災訓練でしか経験したことのなかった集団下校で自宅に帰った。まだこの時は、自分の中でも何があったのかあまり理解できていなかった。しかし、自宅に着きテレビから流れてくる映像を見たときは、言葉を失いその場に立ち尽くしてしまった。アナウンサーが必死の声で叫ぶ中、建物が次々と津波で飲み込まれていく映像、これが本当に同じ日本で起こっていることなのかと正直まったく信じられない気持ちだった。10年が経過して当時の記憶が少しずつ薄れてしまっているが、この映像の衝撃さだけは今も強く心に残っている。
・今思うこと
少し話はそれるが、自然災害が起きるたびに日本人のすばらしさを感じる。ボランティアに駆けつけたり、支援物資を届けたり、応援メッセージを送ったり、日本人の良さである思いやりや慈悲の心の高さが表れている。何よりも被災した方々自身が諦めずに立ち上がる姿は強く心を打たれる。計り知れないほど辛く苦しいはずなのに、笑顔で前向きに復興復旧に取り組むなんて、僕には想像もできない。自分のために、そして、誰かのために行動する、それをもっともっと共有して支援の輪を広げたい。東日本大震災で被害を受けたすべての方々に深く哀悼の意を表します。そして、このできごとから目を背けることなく、記憶し続けていきたい。また、震災後に生まれた、東日本大震災を知らない子どもたちが増えている状況で、決して忘れることなく風化させることなく継承していってほしい。残念ながら地震の発生を止めることはできない、必ず再び大地震はやってくる。そして、それは、いつどこで起きるかはわからない。少しでも悲しみが減るように、改めて備えなどを確認するチャンスにしてほしい。それこそが、東日本大震災から10年が経った今、私たちに問いかけ、教えてくれることだと思う。
<2年 女子>
・経験談
当時小学校4年生の5限目くらいの時間だった。その日は、クラスのお楽しみ会の時間でグラウンドでクラスのみんなで遊んでいた。終わった後、先に教室に戻ってきた途端に大きな揺れを感じた。その時は数人のみ教室にいて、先生はまだグラウンドにいた。咄嗟に訓練のことを思い出し、机の下に隠れた。揺れている間、教室の天井から木屑のような粉が降ってきたのを今でも覚えている。とても怖かった。揺れがおさまってからグラウンドに移動して友達と泣きながら保護者の迎えを待っていた。幸い、大きな被害はなかったが、帰宅後のニュースで津波に飲み込まれる映像や、福島原発の映像をみて大変なことになっているというのを感じた。とにかく怖いその一言だった。 日頃から防災訓練を行うことの大切さや、咄嗟の判断が命運を分けることなどを学んだ。被災された方たちの気持ちを考えるととても心が痛み、ニュースなどの映像から目を背けたくなりますが、事実に目を向けることはとても大切だと思う。
・今思うこと
先日も震度の大きい地震がありましたが、避難に対する意識が薄れているのではないかと感じた。緊急地震速報がなってもことないだろうと考え、身を守る行動をしない人も少なくないのではないかと思います。今一度、10年前の地震の被害や恐ろしさに目を向け身を守る行動は何かを考えてほしいと思う。また、10年前よりもSNSが発達している分、デマ情報なども多くなってきているため、その点についても正しい情報は何かを見極め、拡散するか否かとの判断ができると良いと思う。SKVの活動で初めて石巻の被災地を訪れたが、実際に目にすることで被害の大きさ、地震の怖さを実感することができた。コロナ禍であまり移動はできないが、落ち着いたら一度足を運び体感して欲しいと思う。行くことで地震に対する考え方や防災に対する意識が変変化した。風化してきている大震災の実情をもう一度振り返ることで防災意識を高めてほしいと思う。
<2年男子>
・経験談
東日本大震災が起きた日を私は、今でも、鮮明に覚えている。私は、現在大学二年生で、当時小学四年生だった。東日本大震災の起こった日、私は、学校の教室内で授業を受けていた。すると、とても強い揺れの地震が教室内で発生した。また、東日本大震災の揺れは、室内の物を倒しても、過言ではないほど強い揺れだった。当時の私は、地震に対して怖い印象を持っていなかった。また、東日本大震災の揺れを経験しても、なお、怖い印象を持つことは、なかった。だが、避難訓練同様に、学校の校庭に逃げた際には、女子生徒が怯えながら、泣いている様子や先生方も異例の事態故に、動揺を隠しきれていない様子であった。その様子を見た、私は、当時の大地震が普通のことでは、ないことを認識した。また、揺れが止み、生徒の安全確認ができた後に、保護者同行での、帰宅を命じられ、家まで帰宅したことを覚えている。さらに、家に帰ると、家の中では、愛犬が震えており、なお、この事態が異常であることを認識した。そして、テレビのどのチャンネルにおいても、数日間、東日本大震災のニュースしか、放送しておらず、事態の大きさを改めて実感させられた。
・今思うこと
そのような予測不能な出来事から、10年経った今だから、分かることがある。それは、自然災害に気を抜いて、生活していると、万が一の事態への対処に遅れが生じ、身の安全を確保できないということだ。それ故に、自然災害やウイルス対策など、何事においても、過去の経験から、事前に準備することの重要性、いつそのような異例な事態が起きても対応できるようにするように心掛けて生活する必要があるのだと思う。
メンバー一人一人の思いはいかがでしたか?
これからもSKV(専修神田ボランティア)は、防災に関する活動や情報発信等を続けていきます。また、一般の方々が参加できる活動や感染症対策を行った上で対面での活動をする機会も今後あると思いますので、随時Twitterを確認していただき足を運んでいただけたら嬉しいです。
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